ビジネスの現場で、UX(User Experience、ユーザー体験)やUXデザインという言葉が聞かれるようになって久しいです。

もっとも、UXという言葉が広まったのは最近でも、実は今も昔も、ビジネスの競争とはUXの競争にほかなりません。 良いUXを実現した製品は多くの人に受け入れられ、UXに課題のある製品は淘汰されます。 顧客に良いUXをすることはどんな分野のビジネスでも最も重要なことであり、経営上の目標としなければなりません。

近年はUXの重要性が多くの企業に理解され、物理的なモノ以上に「体験こそが価値を生む」という認識が広まってきました。

この記事では、今後のUX関連のトピックを投稿していく上での基礎知識として、UXやUXデザインという概念の基本を解説していきます。

なぜUXが注目されているのか?

まずは、UXの歴史を簡単に振り返ります。

UXの学問的な歴史は古く、1980年代から、後の展開のルーツとなる「人間工学(Ergonomics)」と呼ばれる研究が欧州で行われていました。その後も欧州を中心にしてユーザビリティ(Usability)や人間中心設計(HCD:Human-Centered Design)をテーマとした研究プロジェクトが多数行われます。

画期的だったのは、1999年に、人間中心設計プロセスの国際規格として制定された「ISO 13407」です。タイトルは、「Ergonomics – Human-centred design processes for interactive systems(人間工学 – インタラクティブシステムの人間中心設計プロセス)」といい、コンピュータを利用したインタラクティブシステムに対して、人間中心設計を用いて使いやすい製品を開発する方法論やプロセスがまとめられました。この規格は、それまでUXやHCDと呼ばれるものと縁の薄かった日本企業にも大きな影響を与えます。

UXの重要性はその後も多くの人に認識されるようになります。2010年には、「ISO 13407」の改訂版で、UXの概念をさらに体系化した 「ISO 9241-210:2010」が発行されます(改訂版のためタイトルはISO 13407と同一です)。同規格は、UXに関する最も標準的な指針として世界中で読まれています。

それでは、なぜこのようにUXやHCDの研究が発展してきたのでしょうか?

その背景には、2000年代からのインターネットの急速な普及や、デジタル端末の高度化があると考えられます。Webサービスやスマートフォンアプリなど、物理的に触ることができないにも関わらず、極めて複雑な操作を伴う製品を開発するために、適切な理論的枠組みや体系的なメソッドが必要とされるようになりました。現在、UXデザインの専門家の需要が最も高いのは、そのようなデジタルな製品やサービスの世界です。

なお、私の個人的な経験の範囲内では、Webサービス運営の現場でUXという言葉が出てくることが増えたのは、2010年頃からだったのではないかと思っています。Webサービスをどのような考え方で作っていけばよいのか?という課題意識が元々あった中で、専門家やメディアを通じて少しずつUXという概念が伝えられ始め、ピンときた人が多かったためではないかと思います。

確かに、UXという概念が普及する前、旧来のコトラー流のマーケティング理論や初期のユーザビリティの考え方だけでは、製品作りをどのように行うべきか、しっくりくる定説がありませんでした。マーケティングやユーザビリティなどは顧客に受け入れられる製品がどうあるべきかについての考え方を含んでいます、理論的な射程範囲内にはおさまっていることと、製品開発の実務で役に立つことには、大きな違いがあります。

そんな中で、UXというものが紹介されてきたわけです。この理論でやっと、製品・サービスの開発に対して、実用的かつ体系的なアプローチができる!と喜んだ人が多かったはずです。

UXとは何か?

前置きはこのくらいにして、UXデザインの説明に入ります。

まずは、UX(ユーザー体験)とは何かを定義します。さきほど、2010年頃からUXの話題を聞くようになったと書きましたが、「ISO9241-210:2010」が制定されたのもちょうど2010年です。それによると、UXは以下のように定義されています。

製品・システム・サービスを利用した際、および/またはその利用を予想した際に生じる人々の知覚と反応。

注1 UXは、使用前・使用中・使用後に起こるユーザーの感情・信念・嗜好・知覚・生理学的心理学的な反応・行動・達成感のすべてを含む

注2 UXは、ブランドイメージ、見ため、機能、システム性能、インタラクションの動作やインタラクティブシステムの支援機能、事前の経験から生じるユーザーの内的および身体的状態、態度、スキルとパーソナリティ、利用状況の結果である

注3 ユーザーの個人的目標という観点から考えた時には、ユーザビリティは典型的にUXに付随する知覚的感情的な側面を含む。ユーザビリティの評価基準を用いてUXの諸側面を評価することができる

国際規格 ISO9241-210:2010

この定義はとても包括的に説明されているし、UX関連のあらゆる書籍でも引用されているので、覚えておくとよいと思います。

ISOの規格書のため硬い表現ですが、ポイントを簡単にまとめると以下のようになると思います。

・UXを一言でいえば「ユーザーの心の中で起こったことと、行動したことのすべて」である

・UXは、ユーザーの主観的なものである

・UXは、「気持ち」と「行動」の両方を含む

・UXは、製品やサービスを利用する前、利用中、利用後のすべてを含む

・ユーザビリティはUXの一部である(ユーザビリティの評価基準によってUXの一部を評価することができる)

以上がUX(ユーザー体験)を理解する上で最も基本的な事項になります。

UXデザインとは何か?

続いて、UXに「デザイン」の付いた、「UXデザイン(UX Design)」について説明します。

UXデザインとは、前項で説明したUXを作り出すための作業を指します。もう少しきちんと定義すれば、以下のようになります。

ユーザーに体験して欲しいこと(提供したいUX)を定めて、それを実現するための手段を設計・開発すること

このように理解しておけば、UXデザインというプロセスへの見通しがつきやすいと思います。重要なポイントは以下になります。

・UXデザインは、提供する側が主体的にUXを定めて、作り上げていくものである

・UXデザインには、最初に提供するUXを定め、次にそれを実現する手段を考える、というプロセスが存在する

・提供したUXが、ユーザーが本当に望んでいた体験かどうかはわからない(そのため検証やフィードバックのプロセスが必要とされる)

・設計、開発した手段は、必ずしも提供したいUXを実現できるとは限らない(そのため検証やフィードバックのプロセスが必要とされる)

以上がUXデザインに関する説明になります。

UXデザインのプロセス

次に、前項で説明したUXデザインを、どのようなプロセス・手順を経て進めていけばよいのか?を説明します。

前述した国際規格「ISO9241-210:2010」は、UXデザインのプロセスを以下のように定めています。様々な場で引用されるお馴染みの図式なので、見たことのある方が多いはずです。(なお、ISOではUXデザインをHCDと表現していますが、意味は同一と考えて問題ありません)

HCDのプロセス(ISO9241-210:2010)

この図はUXデザインのプロセスを正しく説明した図ではあるのですが、初見の人には1つ1つのプロセスがどのような作業を指しているのか、わかりにくかもしれません。

そこで、1つ1つのプロセスに関する説明と、使われることの多い具体的な手法を整理した表を以下の通り紹介します。

UXデザインのプロセスと手法

この表には、UXデザインに関する基本的事項がすべて含まれています。ここに書かれていることの意味や手順をすべて理解できれば、UXデザインに関して理論的な面で困ることはかなり少なくなるのではないかと思います。

以下では、プロセス全体の簡単な説明を行います。各フェーズについては別途、詳細な説明をする予定です。

ユーザー調査

最初は必ずユーザーからスタートすること、これがUXデザインの最も重要な点はです。決して、机の前に座って「こんなものがあったらウケるはず!」と思ったものをそのまま開発してはいけません。もちろん自分なりのアイディアから出発するのは良いですが、必ず正しいUXデザインのプロセスを経てアイディアの是非を検証する必要があります。

ユーザー調査では、ユーザーのデモグラフィック情報(年齢、性別、職業など)に加えて、どのような状況で、どのような体験(気持ちと行動)をしたのかを明らかにしていきます。想定する製品やサービスが無い場合の体験と、既存の製品やサービスを利用した場合の体験の両方を含みます。

ユーザー調査のために利用される手法は、文化人類学の知見から得られた「エスノグラフィ(Ethnography)」、インタビュー調査、アンケート調査などです。

ユーザー分析

ユーザー分析とは、ユーザー調査で発見した情報をもとに、 ユーザーが現在体験していることを整理し、ユーザーの本質的なニーズや課題を分析していく作業です。ユーザー分析の結果が、次フェーズ以降で、提供するUXを検討するための土台となります。

ユーザー分析で用いられる手法は、KJ法/上位下位分析、ペルソナ、現状(as is)シナリオ、現状(as is)カスタマージャーニーマップなどです。

なお、シナリオとカスタマージャーニーマップが指しているものは同一のUXで、表現方法が異なるだけです。あるUXを文章で表したものがシナリオ、時系列でマッピングしたものがカスタマージャーニーマップです。

また、後者の2つに現状という言葉が付いているのは、これから新たに作り出そうとしているUXの前に、既にユーザーが体験しているUXを明らかにするためです。これからユーザーに提供したいものは理想(to be)で、今既にユーザーが体験していることは現状(as is)と表現します。

UXの発想

UXの発想とは、ユーザー調査/ユーザー分析を経て、これから新たにユーザーに提供したいUXは何か?を見つけ出す作業です。必ずしもユーザーの分析結果からロジカルに出てくるものではなく、文字通り「発想」することが必要となるフェーズです。

また、提供企業が持つ組織としての強みやビジョン、実現したいビジネスモデル、さらには担当者の「意思」も重要となってきます。

UXの発想に用いられる手法は「UXコンセプトツリー」や「バリュープロポジションキャンバス」を始めとして、様々なものがあります。ただし、手法はあくまで発想のきっかけになりうる材料であり、良いUXを発想することができれば、手法にこだわる必要はまったくありません。

なお、バリュープロポジションキャンバスについては「バリュー・プロポジション・キャンバスを使って顧客への提供価値を明らかにしよう」で説明しています。

UXの決定

「ユーザーにどのようなUXを提供したいのか」を決定するのがこのフェーズです。前フェーズの発想をもとにして、シナリオやカスタマージャーニーマップなどの形で具体的に表現していきます。

なお、シナリオやカスタマージャーニーマップは、一般的によく利用され汎用性もありますが、「提供したいUX」を表現できるなら、フォーマットは何でも構いません。例えば、1枚のイラストや映像なども選択肢になります。

前述の通り、このフェーズで表現するものは、理想(to be)のUXです。ユーザーが現在どのような体験をしているかではなく、今後提供したいUXはどのようなものであるかを記述します。

ここで決めたことが、今後の設計や検証、製品開発やサービスの提供、社内的な共通認識の指針になります。

設計

このフェーズでは、決定したUXを生み出すための手段としての、製品・サービスのプロトタイプを作成します。

プロトタイプのフォーマットは何でも構いません。「UXを実現できているか評価できること」だけが条件で、紙に手書きしてもよいし、手で直接触れる模型を作ってもよいです。Webサービスやアプリの設計であれば、Webのプロトタイプツールを使うのが便利です。Adobe XDなどのUIデザインツールを使うと、実際のWebページやアプリとほとんど同じビジュアルや画面遷移を持ったプロトタイプを作成することもできます。

もし、プロトタイプを作りながらユーザーの要求自体に違和感や齟齬、矛盾を感じるのであれば、UX自体を見直すところからやり直しましょう。

UXの検証

前フェーズで作ったプロトタイプが、提供したいUXを正しく実現できているかどうかを検証するのがこのフェーズです。

検証にはおおまかに2通りの方法があります。1つは「エキスパートレビュー」で、(設計した人以外の)評価担当者がプロトタイプを触って、客観的なガイドラインや過去の知見をもとに評価する方法です。エキスパートレビューは、「ヒューリスティック評価」と呼ばれることもあります。(厳密には、「認知的ウォ―クスルー」などもエキスパートレビューの1種ですが、あまり実務では使われないようです)

もう1つは「ユーザーテスト」で、一般の利用者もしくは利用者に近しい人に触ってもらい、観察したり感想を聞いたりする方法です。

ユーザーテストは、被験者を集める必要があるため、時間や金銭が必要となります。対してエキスパートレビューは社内のメンバーでも容易に実施できるため、小さな改善→評価を繰り返すことができ、実務に即しています。そのため、UX評価はまずエキスパートレビューを行うことを前提とし、必要に応じてユーザーテストを行う、と考えるとよいでしょう。

UXデザインの効果は?

本記事の最後に、UXデザインを行うことによるユーザーと企業に生じる効果をまとめておきたいと思います。

UXデザインを円滑にまわすことができれば、開発する製品やサービスが顧客に受け入れられやすくなります。 誰かが体験した良いUXは、クチコミを通じてさらに周囲の人に広まります。多くの人に利用されることで、販売が拡大し、企業の収益に貢献します。

また、ユーザーにとってプラスになることだけがUXデザインではありません。ユーザーを誘導してより利益の上がる商品の販売に繋げるなど、企業にとって都合の良い方向へユーザーを動かすこともUXデザインです。

以上を整理すると、UXデザインの効果は以下のようになります。

・製品やサービスの使いやすさ(ユーザービリティ)を向上させる。すなわち、ユーザーが製品やサービスを使用する際の効果、効率、満足度を高めることができる。

・今まで気づかなかったユーザーの本質的要求や、要求への新しい解決方法を発見することで、イノベーションを実現できる。

・体験という付加価値を作り出し、企業の収益を向上できる。

・ユーザーの行動をコントロールすることができる(ユーザーにとって良いことだけがUXデザインではない)

・製品やサービスの開発に、一貫した視点や評価基準を設けることができる。

以上、UXデザインの全体像を説明してきましたが、いかがでしたでしょうか?記事中でも触れた通り、今後さらに、1つ1つのプロセスや手法について詳しく説明していきたいと思います。